ツインソウルのサイレント期間に執着を手放しても人生の再構築が怖い理由

以前、ツインソウルの他のブログを見させていただいていたころ、ツインソウルと出逢ったのが理由で仕事をやめたり人間不信になって引きこもりになったりして何年間も時間が止まってしまったままの人がたくさんいらっしゃるのだなと気が付きました。

本来は社会的・経済的・精神的に自立するのが出逢う目的の一つと言われていますが、それとは反対の生活から数年間抜け出せなくなってしまうことは、いざ自分がサイレント期間という同じ状況に置かれてみると、すごく現実味のある話だと感じるようになってきました。今回は、その理由を考えます。

新しい出会いが怖くなる

たった一人の人間との出逢いのせいで、悪く言えば、人生がめちゃくちゃにされます。出逢えたこと自体はとても幸せだけど、それ以外は辛いことしかありません。そういう出逢いを経験してしまったことで、新しい出会いが怖くなってしまうのです。

人間に対する恐怖感はツインソウルのおかげで和らいでいるので、人が怖いということはありません。ただ、人は縁によって出逢うべくして出逢っているということを体感したからこそ、これから先出逢うであろう人たちとも、たくさんの辛い経験を通して精神的に成長させられていくのだろうなと感じています

ですが、今でさえツインソウルへの問題があるのに、その上にさらに問題を山積みにしていくことなんて耐えられません。だから、人生を再スタートさせるには、今ある辛さが癒えてくるまで引きこもる時間が大切なのだと思います。

 

サイレント期間は新しい人生の方向性を模索する時期

サイレント期間は、気分の浮き沈みがあり、辛すぎてたくさん泣きますが、相手に対する執着を手放したころになると、「よし、生きよう!!」と未来に向かって前進していきます。

きっと、出逢ったせいで引きこもってしまっている方でも、自分の時間を有意義に使い、明るい未来を手にするために模索されていらっしゃるのではないかと思います。

でも、執着を手放しているのにサイレント期間に生きるのをやめたくなるほどの、どん底を何度も経験するのは、「生きよう!!」と思っているのに、なかなか新しい人生の方向性が決まってこないからだと思います。

なぜ決まらないのかというと、「幸せ」の定義がツインソウルと出逢ってしまったせいで非常に高くなってしまっているからです。

ツインソウルとの出逢いってきっと一生で一番幸せな出来事だから、新しい人生の方向性を「どれくらい幸せになれるか」という視点から選んでいたとしたら、永遠に方向が定まらないと思います。

一つ前の記事で、ツインソウルの存在以上に好きなものがあったのを思い出したと書きましたが、その好きなことに取り組んでいる幸せな時間でさえも、どこか物足りなさがあるのです。

どんなに完璧に見える未来の人生設計を考えてみても、そこにはツインソウルがいない限り、本当の幸せなんてなく、物足りなさだけが残ってしまうのです。

このような状況にいる今、『君の名は。』の挿入歌「なんでもないや」の歌詞を思い出します。

君のいない 世界にも 何かの意味はきっとあって
でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう
君のいない 世界など 笑うことない サンタのよう
君のいない 世界など

「自分の幸せ」では人生の方向性が決まらないからこそ、もっと精神的な面から見てレベルが高い「他人を幸せにする」ことを目的とした社会貢献に進む方が多いのかなと思いました。

精神世界の「愛」を知りたい方へ