ツインソウルの出会いを追体験する『吸涙鬼』は『君の名は』越えの傑作。

ツインソウルと出会うのは人生の転換期と言われていますが、その前にも人生の節目となるときにツインソウルと関係の深いものと出会うことがありました。偽ツインソウルとの出会いもそうです。そして、ツインソウルとの恋愛を疑似体験することになる、人生で一番大切な小説とも出会いました。

その作品は、市川拓司さんの吸涙鬼です。

吸涙鬼』はツインソウルの物語

この小説を通して感じた感情は、それまで感じたことのない初めての感情でした。読んでから5年以上たった後、ツインソウルと出会って不思議な体験をし、ツインソウルという概念を知ったことでやっとその感情の正体がわかったのです。

ツインソウルの物語だと思っているのは少し考えすぎかなとも思ったのですが、同じことを考えているのは私だけではないみたいで、Amazonのレビューにもツインソウルとの出会いを追体験する小説だと書かれいる方がいらっしゃいますね。

『君の名は』もツインソウルの物語ですが、『君の名は』の場合、ツインソウルの二人が起こす奇跡をポジティブにハッピーに(←語彙力なくてすみません)描いて人々に夢を与える作品だとしたら、『吸涙鬼』では全く違うツインソウルの物語を描いています。

『吸涙鬼』は『君の名は』よりも100倍甘くて100倍切ないです。より現実的なツインソウルの運命を描いています。だから読み終わったときの辛さがはんぱないのです。ホントに。

作品の解説

あらすじ

満月の夜、屋上庭園で意識を失ったところを冬馬に助けられた美紗は、翌日彼のコテージを訪ね、二十歳で死ぬ病気に罹っていることを冬馬に告白する。次第に体が弱り病室のベッドに伏せる美紗のもとを訪ねる冬馬。彼は美紗の病気を治すという――二人触れ合って、ともに生を願うという方法で。冬馬は悲しみの涙を吸い、生きるために願う。
夜を徹して続く妖しく甘美な治療。美紗と冬馬の愛は至上の高みに昇りつめる。
実は異能をもつ冬馬は、涙をすって生きる吸涙鬼の一族だった・・・。

まさに「甘美」という言葉がふさわしく、物語の美しさに恍惚としてしまいます。この小説を読んだ後は、1ヶ月以上この美しい世界観から抜け出せないままで涙が止まらなくなりました。その涙は私自身がツインソウルと出会って流した、なぜ泣いているのかわからず勝手に流れてくる涙と同じ涙でした。

私は物語に自分を重ねるのが上手なタイプではなく、どんなに感動的な作品を読んでもわりとケロッとしているのに、『吸涙鬼』は私の現実世界まで作品の世界観で染めてしまうくらい、もう次元が違う小説でした。

当時はなんで小説を読んだだけでこんなにも切なく辛いのか意味がわかりませんでした。そして、ツインソウルと出会うまでの数年間、その謎の切なさと辛さを心の一番深いところで抱えたまま歩んできましたが、今振り返ってみると、自分はツインソウルとの恋愛を追体験していたことに気が付いたのです。

著者からのメッセージ

「この世界。この国に対する強烈な違和感。自分はなぜこうまでひとと違うのか? その虚構的解釈としての物語。
なぜひとびとはこうも他者を否定することにやっきになっているのか。現実でも創作物の世界でも。否定すること。憎むこと。妬むこと。豊かさではなく乏しさを描いた世界。現実に目を向けるんだといいながら、彼らは負の心をむさぼります。
『吸涙鬼』は、彼らではなく我々の物語です。愛とは生きて欲しいと強く願うこと。肯定し、受容し、赦し、そして生かす、育む。情熱と官能。熱を帯びた感傷。死と再生。吸涙鬼という存在に与えた体質の多くは、現実にぼく自身が背負っている業のようなものです。そして彼が愛する少女の個性はぼくの妻から。水と火の邂逅。陰と陽。生まれる遥か前から惹かれ合うことが約束されていたふたり。
この小説は、ぼくの仲間への呼びかけ、我々はここにいるぞという、ささやかなる烽火でもあります。もしかしたら、あなた自身が吸涙鬼なのかもしれないのです。」

作者の市川さんは一言もツインソウルの物語だとはおっしゃっていませんが、「水と火の邂逅。陰と陽。生まれる遥か前から惹かれ合うことが約束されていたふたり。」という部分を見ると、ツインソウルの関係のことをおっしゃているように思ってしまいますね。

人生で一番影響を与えられた小説

この作品と出会ったときはまだ高校生のときでしたが、読んで人生が変わってしまった小説です。もし読まなかったら、今とは全く人生を歩んでいると思います。

そのくらい、人生において大切な何かに気付いてしまう小説です。もしかしたら気づかない方が幸せかもしれない、でも気付いたほうが苦労はあってもきっと本当の意味で豊かな人生を歩める。その「何か」に気付かせてもらいました。

私の語彙力が足りないせいでうまく説明できないのですが、その「何か」ってなんだよとつっこみたくなりますよね笑。私の表現力では説明できないので、伏せておきたい気持ちもあるのですが、あえて言葉に換えるとしたら、それは「愛の意味」だと思います。

私は『吸涙鬼』を読んでから、小説を読まなくなりました。なぜかと言うと、もうこの作品を超える小説に出会えることはないだろうと確信したからです。結局、「究極の愛」であるツインソウルの物語を超えるものって、何もないのですよ。『君の名は。』が大ヒットした理由も同じだと思います。

そういえば、ツインソウルの恋愛は「涙」と関係が深いですが、『吸涙鬼』も「涙」と関わりが深い物語になっています。小説の場面からもツンソウルの恋愛にある特徴が見て取れますね。

Amazonのレビューも参考になるのでぜひ見てみてください

ツインソウルに出会っている方が読んでしまったら、同じ辛さを小説でも体験してしまうので、きつくなってしまうかもしれません。

なんでこんなにも辛くなるのかと言うと、それは、ツインソウルの男性の気持ちをわかってしまうからでもあります。ツインソウルの男性の愛はあまりにも大きく、その愛を女性が潜在意識で受け止めていたとしても、頭で理解するのには抵抗があるかもしれません。それを『吸涙鬼』では痛感させられてしまうのです。