なぜツインソウルの出会いは残酷なのに希望と夢に満ち溢れるのか

ツインソウルの出逢いは、ある意味残酷

ツインソウルの出逢いって、生きて来て1番嬉しい出来事ですが、それと同じくらい辛い出来事でもあります。

出逢う前は、「魂の修行」と言われているように、大きな苦労のある人生を歩みますが、血と涙の味がするその頃を振り返ってみても、正直、今の状況の方が辛いんじゃないかと思います。

ただ、心の中にいるツインソウルの存在が、辛さの「クッション」になってくれていて、緩和させてくれている感じはします。どれだけ辛くても、昔のように絶望に襲われることは一度もありません。

ただ、やはり「人生の破壊」が起こり、人間関係も仕事も、全てがうまくいかなくなって、社会から孤立してしまったり、引きこもりになってしまったりして、精神的にかなり追い込まれることに変わりはありません。

私も、昨日の夜、寝言で「助けてー」と叫ぶ自分の声で目が覚め、目からは涙が出ていました。こんなことは初めてなので、かなり精神にヤバい状況なのだと自覚しました。

はたから見れば、ツインソウルの出逢いは、「出逢うべきでなかった残酷な出逢い」に見えるでしょう。一人の人間との出逢いのせいで、全てを失い、社会的にも精神的にも「死」と隣り合わせの日々を送っているように見えますからね。

ですが、精神的に追い込まれている状況の一方で、魂からは生命エネルギーが湧き上がってきて、生き生きしています。社会的・精神的な「死」は、0から人生を築き上げていくための、通過点でしかありません。

なぜ残酷な出逢いなのに希望と夢に満ち溢れるのか

どう考えたって、ツインソウルと会えたことは「死んでもいいほど幸せなこと」なんですよね。だから、会えた時点で、「一生分の幸福」を一度にもらってしまったような感覚になります。

だから、なんというか、その時点である意味、人生を終えてしまっているのですよね。だって、それ以上生きたって、ツインソウルと会えたこと以上の幸せなんてないと確信できるので。

そんな心境だと、もう人生や命に対する執着もないので、怖いものなしなんですよ。出逢ったあと、どんなに苦悩しかない人生を送ることになったって、「自分は幸せ者だ」と思えるでしょう。

つまり、「一生分の幸福を感じる」ということは、ある意味「全てをなくすこと」と同じです。

だから、残りの人生、やりたいことと言ったら、ツインソウルと出逢わせてくれた自分自身の人生と命に感謝して自分の夢を叶えてあげること、体を与えてくれた両親に感謝して親孝行すること。

そして、ツインソウルに辿り着くまでの間、ツインソウルのいる方向へ導いてくれた、すべての縁に感謝して、社会貢献をすること。

ツインソウルと会った時点で、全てを失っているので、もう何も失うものなんてありません。失う怖さもありません。だから、夢と希望しかないのです。

もし、神様がいて、ツインソウルが出逢うための力を貸してくれているとしたら、こう言っていると思うんです。

「君の大切な人に会わせてあげるから、その分、しっかり前を向いて、全ての人とモノに感謝して、みんなの人生に光を照らしてあげるんだよ。」

そのような言葉が、どこからか心に届いてきます。

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