いじめの特徴、相談、接し方、生き抜く方法、後遺症を体験者が考察

いじめ問題はどれだけ問題視されてもなくなることがありません。いじめを受けた子が将来どうなってしまうのかという問題も軽視されているので、もっと問題視するべきだと感じています。今回は、私はいじめ経験者だからこそ語れることを、書いてみようと思います。

いじめ体験者がいじめを考察する

いじめられやすい人の特徴とは

まず、いじめられやすい人の特徴について書きます。私自身は社会不適合な部分があったので、自分にも少し責任がありましたが、いじめられてしまう人は心の底から優しい人が多いです。

いじめられやすい人の特徴5つ

自己肯定感が極端に低い
超・自責タイプ
奉仕精神を持った優しすぎる人
何に対しても積極的だけど、味方は少ない人
転校生

一つずつ説明します。


自己肯定感が極端に低い

自己肯定感は、一番重要なポイントです。

自己肯定感が高いか低いかの違いは、戦場にフル武装で行くか丸裸で行くかくらいの違いがあります。同級生だとしても所詮他人なので、その人のことを全て知ることはできません。だから、自己肯定感が高くて自信に溢れた振る舞いをするだけで、周りの人からは「この人はきっとすごい人なのだろう」という目でみられます。

変人で周りから明らかに浮いている子や、おとなしくていつも読書ばかりしていた子でも、自己肯定感が高い子たちはいじめられず、周りからはその人の個性として受け入れられていましたね。

でも、私の経験からすると、自己肯定感が高い人ほど実際は中身がからっぽな子が多く、人間的な深みがあって謙虚な人ほど自己肯定感が低い子が多かったです。ただ、人を見る目がない子たちは、自己肯定感が低い子を「あいつは全然大したことない人間だ」と見るので、いじめの標的にされてしまいます。

ちなみに私も周りになじめず自己肯定感が極端に低かったせいで、先生たちから「おまえ、もっと自信持てよ!」とよく言われていました。ですが、無理に自己肯定感を高める必要はないと思います。いじめ対策のためには、自己肯定感が低くても高く見えるように振る舞い、自信があるように見せるだけでいいと思いますよ。


超・自責タイプ

何か悪い出来事が起こったときに、責任感の強さから「自分のせいだ」と考える傾向がある子たちです。

このような子たちは、何を言っても何をしても広い心で受け止めてくれそうだし、反撃しなさそうなので、いじめっ子たちは裏でコソコソいじめを仕掛けず直接的に言葉の暴力や体の暴力をふるってきます。反対に、いじめっ子は極端な他責タイプですね。自分のために他人を不幸にすることに何の抵抗もありません。

自責・他責タイプは子供のころは両極端に分かれやすいですが、大人になるとバランスが取れていきます。大人になると論理性が身についていくためですね。しかし、人間性というものは根っこの部分はそう簡単に変わりません。だから、社会に出てからも、他責タイプの元いじめっ子たちがいる環境だと、元いじめられっ子は学校と同じような経験を再び繰り返すことになるのです。


奉仕精神を持った優しすぎる人

自分を犠牲にしてでも他人を救おうとする精神を持った子たちです。暴言を吐かれても、本当は辛いのに、それを隠して笑顔を見せます。このような子たちは、辛いことを表に出さないので、いじめっ子たちは調子に乗ってしまいます。

このタイプは、強い心を持ち合わせていればいいのですが、優しいだけだとすぐに自分を犠牲にしてしまうので、たまには周りの人たちに頼ったり、自分の考えを主張してみたりしてください。


何に対しても積極的だけど、味方は少ない人

出る杭は打たれます。だけど味方が多い「出る杭」は打たれません。つまり、行事に積極的なタイプ、例えば体育祭の団長や生徒会長になるような人たちは、自分の支持者を多く持っています。



ただし、支持者がいないのに、目立ってしまう人は、「なにあいつ張り切ってるの」と白い目で見られます。たとえ自己肯定感が高いとしても、鼻をへし折って、その高い自己肯定感をぼろぼろにしてやろうと、周りの人からは思われてしまいます。いじめっ子からはすぐに目をつけられます

私の場合は、行事の際などは目立たないようにするしかありませんでした。悲しさはありましたが、そのぶん一人で好きなことに熱中できるというメリットもあります。


転校生

超自由な校風でもない限り、学校は基本的に「異物は排除」の文化にあります。田舎だとさらにこの傾向が強いです。私の経験では、ド田舎だったことも関係していて、転校生でいじめられていない子はいませんでした。



転校生は、転校してくる前にいた学校の文化を持ちこんできちゃうのですよね。
例えば、プールの着替えでは、みんな体にタオルを巻いて着替えるのが普通なのに、転校生は着替えるときタオルを巻かず、すっぽんぽんになっちゃう。(笑)
そういう、違う文化は学校では強く拒否されます。

だけど、転校生は割とタフな精神を持っている場合が多くて、いじめられていても全然気にしていませんでした。そういう強い心を持っている転校生には、人として憧れましたね~。転校生は、無理に変わろうとしなくていいと思います。周りから変な目で見られることがあっても、「私は私だから」と堂々としているほうがいじめられません。

いじめられやすい子の特徴を一言で現すと・・・

いじめられっ子になりやすい人は、
無害で味方がいない、少し目立ってしまう人」です。

いじめ対策のために性格を変える必要はありませんが、上で挙げたように少し行動や振る舞いを変えてみてください!

いじめっ子の特徴と対策

続いて、いじめっ子の特徴といじめっ子のタイプ別対処法を書きます。いじめっ子も人間なので、良い面と悪い面を持っています。そのため、どのように振る舞えば良い面を引きだし、悪い面を出さないようにさせるかがポイントです。いじめっ子のタイプによって、対処法は大きく違ってきます。大きく3つのタイプに分けました。


①お坊ちゃま・お嬢様タイプ
②快楽タイプ
③マイルドヤンキータイプ

一つずつ説明します。


お坊ちゃま・お嬢様タイプ

心が綺麗なお坊ちゃま・お嬢様タイプももちろんたくさんいます。ですが、いじめっ子になってしまう子たちは、何不自由なく育ち苦労したことない子たちが多かったです。

特徴

周りから愛されて育っているので自分に誇りと自信をもっている。権力主義で自分の味方作りによく励んでいる。言葉の暴力でいじめるタイプ。プライドが高いせいで傷つきやすく、自分を派手に見せたり攻撃したりすることで自分の身を守っている傾向がある。

対処法

一番してはいけないことは、高いプライドを傷つけることです。反対に、いじめられている側がプライドを捨て、この人たちを褒めてあげると喜びます。自分を褒めてくれる人たちを味方だと考えるので、少なくとも敵ではないとアピールすることに繋がるので効果があります。しかしわざとらしい褒め方では不信がられます。爽やかな態度で褒めてみてください。


快楽タイプ

特徴

楽しくていじめをするタイプです。「好きな友達、仲間がたくさんいて幸せ!だから別に自分に関係ない人のことなんてどうでもいい。それだったら、その人のこといじめて、毎日がもっと楽しくなればいいのに!」という恐ろしい思考をしています。この人たちにとって信用できる友達や仲間がいれば心理的に無敵状態です。
お坊ちゃま・お嬢様タイプと違って、鋼の精神を持っていて、めったなことでは傷つきません。

対処法

「人生楽しんだもの勝ち」と考えているので、人生を楽しんでいなさそうな人たちを「負け組」と考えています。そのため、この人たちに落ち込んだ姿を見せてはいけません。がんばって、何かに熱中している姿を見せたり、楽しそうな雰囲気を醸し出したりしてみてください。そうすると、いい意味で相手にされなくなります。


マイルドヤンキータイプ

特徴

グループのトップにいるボスたちです。キラキラ系ではなく、がらが悪いタイプ。
暴力的ないじめを仕掛けてきます。おそらく、暴力は悪いことだと認識していません。ただ、上の2つのタイプに比べると、人としてのいやらしさは少ないです。
苦労しているので人としての温かい面をちゃんと持っている人が多かったです。

対処法

心の根っこのほうは優しい人たちなので、その優しい部分に働きかけると効果があります。例えば、家族思いや友達思いなことをアピールし続けると、柔らかい表情を見せてくれるようになり、いじめもましになります。

いじめっ子を分析した感想

この分析は、かなり私自身の経験が影響しているので、人によっては違うなと感じる方もいるかもしれません。そういう方は、参考にしないでください。

過去のことはもう許していますが、当時を思い出して泣きながら分析してました笑。良心が欠如したこのようないじめっ子たちは、その度合いが違ってもどこにでもいます。私はド田舎の学校に通っていましたが、もし都会の学校に通っていたら、もっとひどいいじめにあっていたかもしれません。自分がいじめを耐え続け、今生きていることに感謝したいです。

なぜ半数以上がいじめを相談しないのか

いじめを相談せずに一人で耐えている子はの割合は、統計によって差があるものの半数近くはいるようです。東京都が2012年から進めてきた「いじめ問題に関する研究」で、相談できない理由の75%は、被害が悪化するから」らしいです。

親や学校に相談したら、ホームルームの時間にいじめ問題が取り上げられたり、いじめっ子が呼び出されたりして、逆恨みされるのを恐れているということでしょうね。

私自身は、相談していじめを止めてもらおうと思ったことは一度もなかったので、意外な調査結果でした。あのころを振り返ってみても、誰にも相談しなかったことは状況からしてしょうがなかったと思います。それでは、私が相談できなかった理由を挙げてみたいと思います。

私がいじめを相談できなかった理由

①親がいじめに理解のない人間だった
②自分以外の全ての人間や社会全体が敵に見えていた
③コミュニケーション能力が極端に下がっていた
④自分のされていることが「いじめ」だと断言していいのかわからなかった
⑤傷口を広げられるのが怖かった

それでは、一つずつ説明します。


親がいじめに理解のない人間だった

両親とも頑固で、社会の文化や価値観の変化に対応できていない昭和人間でした。
いじめられているとははっきり言いませんでしたが、いじめられていることを匂わせるようなことを言ったことが数回ありました。

しかし、「俺の時代にはそんなのなかったから意味がわからない」とか、「もしお前がいじめられているのなら、それはお前が悪いという言葉が返ってきたので、親に救いの手を差し伸べてもらおうとすることは諦めました。


自分以外の全ての人間が敵に見えていた

どんなにいい人だとしても、全ての人間がいじめっ子のような黒い部分を隠し持っていると思っていました。そのため、何の関係もない人も全て敵に見えていました。

学校には優しそうな先生も少なからずいましたが、あくまで「優しそうに見える」だけで、実際は人間の黒い部分をしっかり持っていると感じていました。
敵に自分の弱い面は見せたくないと、強がっていましたね。


コミュニケーション能力が極端に下がっていた

日々の生活で誰とも会話をしない上、辛さを紛らわすために脳細胞を殺すような行動をたくさんしていて頭がおかしくなっていたので、普通の会話ができない状態となっていました。

相談する際にも、状況を説明しないといけないわけですが、それができない状態でした。いじめの電話相談サービスがありますし、最近ではSNSでも相談できるようですが、私には利用できませんでした。


自分のされていることが「いじめ」だと断言していいのかわからなかった

「いじめ」の定義は難しいです。小学校・中学校に通っていたころは、自分のされていることがいじめだとは思っていませんでした。高校に入って、いじめだと認識するようになっても、いじめは見えないものだから、物的証拠もあまりありませんでした。

それに、ニュースを見ていると、自分よりもずっとひどい被害にあっている子たちがいたので、自分がされていることが「いじめ」だと堂々と言うのは少し申し訳ないような気持ちにもなりました。


傷口を広げられるのが怖かった

いじめっ子にされたことは、自分が忘れてしまえばいいだけのこと。だけど、人といじめの話題を共有するとなると、状況をちゃんと説明するために辛かったことを何度も思い出さないといけなくなります

それに、相談する相手を間違えれば、こちらが責められることにもなりそうなので、それを恐れていました。

どんな人なら相談できたか


最初に言ったように、相談して現状を変えてもらおうと思ったことはありません。
いじめは自分自身で対処し続けてきましたし、相談できる人がもしいても頼らなかったと思います。

ただ、私は心の支えとなる話し相手がほしかったです。多分、相談できるほど信頼できる人がもし実際にいたら、むしろそんなつまらない話題なんか共有していないと思います。


いじめなんかどうでもよくなるくらい、一緒にいるだけで心が満たされるような存在が、本当に必要な存在なのだと思います。人間不信を治してあげられるくらい、心の底から優しい人が、いじめられている子のそばにいてあげてほしいと思いますね。

私がいじめを自力で生き抜いた方法

続いて、小・中・高でいじめられていたわけですが、家族さえ敵に見えていたので、誰にも相談せず、頼れる人もいませんでした。そんな中で、どうやって12年間生き延びたのか書きたいと思います。

生きる力の源になったものとは

当時は、いつも「生きるか死ぬか」の選択に迫られているような状態でした。
それでもなんとか生きるほうを選択し続けてこれた一番の理由は、自然とのふれあいがあったからだと思います。

学校や家庭で傷ついて心がめちゃくちゃになっても、自然が心の傷を癒してくれました。例えば、雨が降ったときの土や草、花の香りや、夜明けのピンクや水色が混ざった不思議な色の空、森の木漏れ日、などは私にとって心の薬となっていました。家に居場所がなくて家にいたくないときも、月や星を見ながら誰もいない夜道を歩いていると、どうでもよくなっていきました。

私は岐阜のド田舎に暮らしていたので、このように自分の心を再生することができましたが、もし都会に住んでいたらどうなっていただろうと考えてみると、生きる希望を見つけられなったのではないかと思います。本来、人間は自然と調和した環境で生きることが適しているので、都会のような環境で生活することは、それだけでつらいはずです。

それと、飼い猫とのふれあいでも孤独が癒されました。心の健康には、自然や動物とのふれあいがとても重要です。人によって心を癒すものは異なりますが、自分が自分に優しくなれる世界を持つことが大切です!

自分の体に愛情を持つことの大切さ

私が生き延びるために意識的に行ったことは自然や動物とふれあうようにしたことだけですが、体や精神には無意識のうちに防衛反応が起きていて、なんとか心をいじめから守ろうとしていました。

例えば、うつ病、過食症、不眠症、などを発症しました。「病気になったら、なおさら状況悪化しているじゃん」と思うかもしれませんが、今振り返ると、このような防衛反応を起こすことで、なんとかして生き延びようと体が自分を守っていたのだと思います。

最初に書いたように、いじめは「生きるか死ぬか」のどちらか一方を選択し続ける必要があります。だから、どんなに精神がおかしくなっても、悪いほうを選択しないように、体ががんばってくれている証拠なのだと思います。

当時は、このような精神病を発症してしまう自分に対して、「また地獄の階段を一方降りてしまったな」と思っていましたが、それほどまでに「生きたい」と言っている自分の体に対して愛情を持ち、自分だけは自分のことを大切にすることが重要だと思います。

まとめ

いじめを生き抜くために大事なことは、心の傷が癒され自分に優しくなれる世界を持つことと、防衛反応を起こす体に愛情を持ち大切にすることの2つです!

いじめられている子への理想的な接し方とは


続いて、私のいじめの経験から、身近にいじめられている子がいた場合、どのように接していけばいいのか考えてみたいと思います。
私自身、周りの人から腫物に触るように扱われていたので、接しづらいのだろうなと感じていました。

接し方が難しい理由とは

いじめられている子への接し方は、とても難しいです。なぜなら、その子にとっては周りの傍観者たちもみんな含めて、いじめっ子に見えていることがあるからです。私の場合もそう見えていました。

また、私の経験から言って、いじめが長く続くと、はっきり言ってかなり性格が悪くなってしまうことがあります。全ての人間が悪魔に見えてきて、自暴自棄になり、他人にも自分にも優しくなれず、何も信じないし絶望しかない。ずっとこのような精神状態だったわけではないですが、私の場合味方が一人もいなかったので、性格を悪くすることで優しい部分の自分を守り、なんとか生きていたのかもしれません。

端から見たら、ただの関わりたくないタイプの人間になっていたと思います。
親切にしても、逆に攻撃されるのではないか、と思わせてしまうような雰囲気を漂わせていました。この頃、先生や同級生など気にかけてくれる人もわずかにいたのですが、表面的な優しさも信じられなくなっていました。



例えば、先生が進路に関してアドバイスしてくれたときも、「先生は仕事だし義務だから私に優しくしてくれているけど、本当は私のこと何とも思っていない。」と考えてしまい、その優しさを拒否していました。人の優しさに飢えすぎると、拒否するようになるのですね。

接し方のアドバイス


それでは、かなり性格が悪くなって、関わりたくないようなオーラを漂わせているいじめられっ子にどう接するべきでしょうか?

私が実践してほしいのは、「ごく自然で当たり前の優しさを与える」ことです。私が人の優しさを拒否していたときにも、受け入れられるような優しさがありました。それは、同情や義務感からの優しさや特別な優しさではなく、ごく普通の、人が平等に与える優しさです。

例えば高校の修学旅行に行かなかったときに、他の行かなかった子たちは山のようにお土産をもらっている一方で、私はもらえないのが当たり前だと知っていても、もらえなくてとても心が痛かったです。

でも、一人だけお土産をくれた女の子がいました。
「これ、○○ちゃんにあげる。」と言ってくれたときの表情や声のトーンが、私以外の子に接するのと同じような平等な優しさを感じ、お土産あげるのが普通だ、とでもいうように、ごく自然な感じでお土産をくれました。

その子が偏見や差別を持たず、普通に接してくれたことがとても心に響きました。今思い出しても、涙が出ます。この時の彼女には4年経った今でもとても感謝しています。

だから、いじめられている子に接するときに大切なことは、どれだけ自分が自然にふるまえるか、ということだと思います。表面的な優しさだけでは、すぐに見抜かれてしまいます。

その子に心を開いてもらいたいなら、まずは自分が心を開いて、友達や家族に与えるような優しさをあげることが大切だと思います。自分にとっては「優しさ」だと思わないような些細なことでも、その子にとってはとても嬉しいはずです。自然に話して、自然に笑ってみてください。それで、「君も仲間だよ」ということを行動で現していってほしいです。

いじめられっこのその後

いじめられっ子の将来を見ると心苦しくなる現実がある

いじめられっ子は将来、どのような道を歩んでいくことになるのでしょうか。悲しいことに、いじめの影響力は人生を狂わせてしまうほど大きなものです。社会に出たとき、いじめ経験者にしかわからない苦しみがずっとついて回ります。将来は人それぞれ多様ですが、主な3つのタイプに分類して説明します。

いじめられっ子の将来は大きく3つのタイプに分かれる

①地元で就職タイプ


私の知ってるいじめ経験者は、高校卒業後、都会に出ることなく地元に就職している人が多いです。
夢を追って都会に出ても、1年くらいで夢を諦め地元に戻って就職してる人もいます。

どうしてこのような傾向になるのでしょうか。もしかしたら、いじめによってエネルギーをそがれているため、外の世界にでようとするエネルギーが不足しているせいかもしれません。それか単に地元や家族が大好きなだけかもしれません。信頼できる人たちとずっと育ってきた場所で過ごすことは精神的にも安定すると思います。私の周りにいるこのタイプの人たちは、見ていて結構幸せそうに見えます。
いじめ後遺症に悩まされていないタイプが多いですね。

②引きこもりタイプ


私の周りにこのタイプはいませんが、
色々な記事を見ていると、一度引きこもってしまうと社会に復帰することが気持ち的にも難しくなって、気が付いたら何十年も引きこもっていた、という例が多いようです。

私も完全に引きこもってしまわないよう、なんとか社会との繋がりを切らないようにはしています。いじめ後遺症に悩まされていると引きこもってしまうのでしょうね。

③出世タイプ


芸能人や社会で活躍している人たちが、「実は私いじめられっ子でした。」と発言しているのをよく聞きます。
この人たちは、傷つきすぎたことで傷つくことを恐れなくなった、強い心の持ち主が多いように思います。

ただ、やはり心の傷や孤独は癒されていないので、笑顔が寂しかったり、笑っていても泣いているように見えることがありますね。

いじめ経験者にしかわからない苦しみとは

私が社会に出たときに感じた苦しみとして、小学校時代から高校時代までの時間と体力をほとんどいじめのせいで無駄にしてしまったことの後悔や悲しさ、そして悔しさを感じました。

色々な社会人と出会っていく中で、特に高学歴の人やエリートの人に会うといつもそのような感情がわいてきて、心が張り裂けそうになりました。もちろん、このような感情を持つのは間違っていると自覚はしていました。

しかし、普通は勉強や将来の夢のために様々な能力を身に着けるべき時間に、自分は生命力を削がれ、精神病にかかり、ただ絶望するな日々が12年間も続いてしまったことを思い出すと、とても劣等感を感じました。この無意味な12年間のせいで、今も「自分には何の能力もない」というコンプレックスが大きいです。

現在、いじめ後遺症は軽くなっていて精神状態はとても安定しているのですが、このような大きな劣等感はなくならず、人間が怖いせいで仕事に支障が出てしまい会社を退職しました。

当事者の一番の苦しみは、いじめられるような責任はどこにもなかったのに、社会に出たらいじめられた責任を自分が取り続けなければいけないことです。

つまり、心を病んでしまったせいで勉強できないから良い大学に入れない→良い大学に入れなかったから良い企業にも入れない→働いてみてもいじめ後遺症障害となって退職する。このようないじめの責任を、加害者ではなく被害者自身が取り続けなければいけないことをもっと問題視されるようになってほしいです。

未来に希望はないの?

いじめを経験すると、夢を追ったり一般的な幸せを手に入れたりするハードルがとても高くなります。

人間不信を治すことは難しいと思うので、人とのコネが重視されたり、浅く広い人間関係を築いたりする世界で生きるのではなく、何かに熱中できるような研究職や職人を仕事とし、深くて狭い人間関係の中で生きていくのが幸せに近づく一歩なのではないかと個人的には思います。社会にはなじめなくても、その人なりの幸せがあるはずです。

続いて、いじめ後遺症について考えてみます。

いじめにあった人はわかると思いますが、いじめの傷は一生残ります。生き方や人生にも多大な影響を与えます。

当時味わった、最悪な孤独感というもののせいで、「自分を助けてくれる人なんかいない。自分はずっと一人だ。」と考える癖が頭と心に刻み込まれてしまっているのですよね。

誰にも相談できず、ずっと一人で耐えてきた人は、そのような誰にも頼れない生き方を大人になっても続けていくことになってしまうと思います。私自身何か困ったことがあっても、誰にも頼れないから、すべて一人で解決する癖がついています。非常に生きづらいです。

私のいじめ後遺症

対人恐怖症

高校を卒業してから3年間ほどは続きました。会う人全てに嫌われているように感じ、人と話すことが怖かったです。普通の会話でも、相手が怒っているように錯覚してしまい、怖くなってしまうため、普通の会話ができない状態でした。また、すれ違う人々、特に学生集団がとても怖く感じました。

社会不安障害

会社勤めしていた時期、自分が社会不安障害を持っていることに気が付き、仕事内容が自分にはできそうにないことばかりだったので退職しました。会社勤めは一生できないと思います。

会社にいるだけで非常に苦痛でした。目上の人と話したりプレゼンをしたりするときには、めまいがしたり、緊張で声が全く出なくなったりしました。何か自分が変なことをしてしまったら、またあのいじめが繰り返されると感じていたので、とても神経を使いました。実際、同期の女の子からは目をつけられていて、いじめられました。またあの頃と同じ苦痛が繰り返されることだけは、退職してでも避けたいです

人との関係が築けない

社会生活に慣れてきて、職場などで浅い関係は築けるようになっても、職場の人と仕事以外の話をすることが苦痛でした。いじめの経験がコンプレックスになっているので、自分を知られたくないという気持ちが強いせいだと思います。

「普段何してるの?」とか、「趣味何?」とか聞かれるのが怖いです。高校卒業まではいじめに耐えるので精一杯だったので、趣味に没頭することなんてできなかったし、卒業後も不眠症だとか過食症だとかに苦しむ日々を送っているだけでした。だから、プライベートのネタが全然ないのですよね。そのせいで、「この人こんなにつまらない人なんだ」と思われるのが怖いです。だから、人と関係を築くことを避けるようになってしまいました。

それに、相手に変なことを言ってはいけないという思いが強いから、会話していると、「まじめだね~」とよく言われてしまいます。この言葉には、「君ってつまらない人間だね~」という意味がこもっていると思うので、言われると、自己嫌悪のあまり、関係をなくしてしまいたいくらいの気持ちになります。人間関係については、今でも考えすぎたり慎重になりすぎたりしてしまうのですよね。

うつ病と過食症

高校卒業から3年間は治りませんでした。
過食症はストレスの発散になっていたのですが、それが習慣になってしまっていました。

いじめ後遺症があっても希望ある未来を諦めない

いじめ後遺症のせいで、私も生きるのをやめたくなるようなことが何度もありましたが、下で説明する方法のおかげで、今はかなり楽になっています。普通の社会生活を送れないのなら、別の道を探せばいいだけのことだと自分に言い聞かせています。自分に適した生活が見つかるまで、新しい場所で新たな生活をすることに何度もチャレンジしていきたいと思います。

私がいじめ後遺症を治した方法

いじめは何年、何十年たってもその人を苦しませ続けますが、いじめ後遺症を治して普通の幸せを手に入れることはできないのでしょうか。このことについて私の経験からお伝えできることを書きます。

いじめ後遺症が治らないままだと・・・

個人的な考えとしては、普通の平穏な人生を取り戻すことは、とても難しいと思います。

なぜなら、いじめから何年も経過して表面上は普通の人と同じように振る舞えるようになっても、心の大きな傷は治らないままなので社会生活を送る上でそれが障害となってしまう場面が多々あるからです。

いじめのせいで極端に自己肯定感が低くなっているので、何をするにも自信がなく、少しの失敗でも「自分はだめな人間だ」と思い込んでしまう傾向があります。
人間不信から、人間関係を築くことも難しくなってしまうので、恋人や友達が作れなくなる場合も多いと思います。

心の傷を癒すものとは

心の傷を治せるのは、一つだけです。

それは、「」です。

私自身「愛」でいじめ後遺症がだいぶ楽になりました。心の穴を埋めるために、友達や仲間をたくさん作ってみたこともありましたが、逆に孤独感が強まるだけでした。量より質の人間関係が大切です。

たった一人でいいので、とてつもなく愛しい人を見つけてみてください。「愛するだけで、愛してもらわなくていいの?」と思うかもしれませんね。これは人によって違うと思いますが、私の場合、愛するだけで後遺症に効果がありました。
愛されれば、もっと効果があると思いますよ。今でもたまにフラッシュバックが起きますが、愛する人の存在が、心の薬のように楽にしてくれます。

いっそのこと記憶をなくしてしまえばいい

また、いじめの記憶はなくならないものですが、私はほとんど忘れることができました。忘れたというよりは、脳から「追い出された」に近いかもしれません。

私が実践したことは、何かに熱中して取り組むことです。


熱中すれば何でもいいわけではなくて、2つ条件があります。
それは、「大量の情報を記憶しなければいけないこと」と、「やりがいがあること」です。

脳の記憶領域には限りがあるので、新しい情報を大量に入れて暗記することで、古い情報はどこか遠くのかなたへ行ってしまいます。それと、やりがいがあることによって、自己肯定感を高めていくことも大切です。

私の場合、1年半以上、半強制的にこのようなことをやらなければいけない状況に追い込まれたのですよね。いじめ後遺症に悩んだり過去を思い出している余裕も時間もなく、必死になって取り組んでいたら、いつの間にか辛い記憶を忘れていました。毎日のように泣きながら頭に情報を詰め込んでいましたが、とてもやりがいのあることだったのでいい経験になりました。

いじめの経験は「する必要のない苦労」ですが、このような「する価値のある苦労」というものをしてみると、この経験がいじめの経験に上書きされ、治療に効果があると思います。

いじめ後遺症の治し方について思うこと

いじめ後遺症は精神科で相談するべきかもしれませんが、自分の心の傷は自分にしかわかりません。ですので、このように自力で治そうとすることも大切なのかなと個人的には思います。


全体のまとめ

ものすごい長文になりました・・・・笑。いじめを12年間ずっと一人で耐えてきたり、いじめ後遺症でも辛い日々を送ったりしながら考えてきたことを書くことができ、よかったです。最後にまとめとして言いたいことは、もし今いじめられている子がいたとしたら、生きること、これだけを大切にしてほしいということです。何を言われても、何をされても、生きることだけに集中してください。