私が田舎で体験したいじめ。居場所・孤独・家族・故郷について考える

せっかく生きているからいじめ問題を考えようと思う

いじめを経験した話って、とてもナイーブな話題なので、なかなか人に話せる話題ではありませんよね。私自身、誰かに話したことは一度もありません。

ですが、あの当時の辛い経験を墓場まで持っていくのではなく、誰かの役に立てるように、発信したほうがいいのではないかと思いました。なので、今回は、私のいじめ経験と、そこから考えたことについて書きます。

元いじめられっ子がいじめの経験についてその後どう感じているのか、ということは、いじめ問題と向き合う人たちが気になることでしょう。なので、そのような方たちに参考になればいいなと思います。

私が経験したいじめを振り返る

田舎の陰湿ないじめは居場所を奪いどこにも逃げ場がない

私が経験した、田舎のいじめ特有の辛さについて書きます。

田舎のほうが都会よりも陰湿で酷いいじめが多いと言われています。それは、田舎という場所が、まるで学校と同じように一つの大きな組織のような機能を持っていて、学校で排除された子は必然的にそのコミュニティ全体でも排除されてしまうという側面を持っているからです。

いじめで自殺する人に対して、「なぜ逃げなかったのか」と世間は問いかけますが、その問いかけは間違っています。

田舎でどこに逃げろと言うのでしょうか。ホームレスにでもなれと言うことでしょうか。なぜなら、田舎は本当にどこにも逃げ場がないのです。

田舎って、ほとんどが閉鎖的な監視社会のようなところで、とても窮屈なところです。普通暮らしている人でさえそのように感じるので、いじめを受けている子にとってはさらに辛い部分があります。元いじめられっ子の私は、当時住んでいた田舎を、監獄のようなところだと感じてました。

田舎でいじめを受けている子って、本当に居場所がなく、どこにも逃げ場がありません。どこに行っても顔を知られている大人しかいないので、少しでも変なことをすればすぐに悪い噂がたち、その地域住民全員に広まってしまいます。

鎌倉市図書館や高知県立図書館など、ここ数年の間で、学校がつらい子は図書館にいらっしゃいと呼びかけている図書館が増えています。このような場所があると、スタッフの目を気にせずにずっといられるので、大変ありがたい取り組みだと思います。

しかし一方で、もし田舎で登校時間中の生徒が図書館にいたら、大問題になります。多分、図書館のスタッフが学校に連絡を入れて、学校や地域全体から非難を浴び、「普通じゃない子」のレッテルを貼られることでしょう。

自分だけが非難されるだけならまだましですが、田舎の古い人間特有の考え方があって、家族や親戚のことまで非難します。田舎で一回悪い噂がたったら、古い価値観の人間たちは、その子の家族や親戚など、いじめとは関係のない人までも排除しようとするのです。

不登校児を抱えている家庭も、やはり地域の人から冷たい目で見られるでしょう。

だから、田舎でいじめを受けている子は、その子が優しい心を持っているほど、きっと家族や自分と関わりのある人たちのことを考えて、いい子でいることしかできなくなってしまいます。

家族がいじめに理解があり、地域の人から白い眼で見られるとしても守ってくれるような親だったら、家庭に居場所があるので不登校になっても大丈夫かもしれません。しかし家庭にさえ居場所がない子はさらにひどい状況に追い込まれます。

登校時間中に外を出歩くこともできないし、家にいることもできないとなると、もう最終的に学校に行くしかないのです。いじめから逃げたいのに、どこにも逃げ場がないせいで、自らいじめを受ける場所に行くという一番辛い選択を選ばなければいけなくなってしまいます。

家庭にも学校にも居場所のない子だと、その苦しさから逃げるために、どこか遠くに行ってみたり、家出したりしたくなるだろうと思います。私自身そうだったのですが、田舎だから本当にどこも逃げる場所がないのです。車を持っているわけでもないし、もし何時間も行く当てもなくさまよい歩いても、警察に保護されるだけでしょう。

さらに、田舎特有の排他的な考え方にはもっと恐ろしい部分があります。いじめは加害者のほうが悪いはずなのに、被害者のほうが悪いと考えるのです。それは、周りと同じようにできず、周りにそまることができない被害者に落ち度があると考えるから。

だから、田舎でいじめを受けると、まるで悪者のように扱われるので、放課後や休日なども外に出ることができず、家に引きこもるしかできなくなってしまいます。

もしどこかに出かけ地域の人と会ったら、あからさまに嫌な顔をされたり目の前で悪口を言われたりするし、出かける場所なんて限られているので、いじめっ子とばったり会うこともあるでしょう。

田舎でいじめを受けている子は、居場所を奪われどこにも逃げ場がなく、八方塞がりの中で、なんとか命だけは失わないように自分で自分の命をどうにかぎりぎりの状態で守っています。

でも、何かのきっかけで、ほんのわずかしかない生きる希望さえ失ってしまったときに、自分の命を守る意味がなくなり、命を絶ってしまうのです。

いじめの問題は世間でもよく取り上げられていますが、このような酷い現状にある田舎のいじめにもっと関心を向けて問題意識を持ってほしいです。

田舎でいじめられて居場所がなくなり半ホームレスになった話


このように、田舎は監視社会なので、いじめられっ子にはどこにも居場所がありません。私には家にも居場所がありませんでした。

だから、一番私が精神的に追い詰められていた高校生のとき、学校や家にいなければいけない時間以外をある場所で過ごしていました。どこで過ごしたかというと、それは・・・

公園です。

公園と言っても、無駄に土地だけ広い田舎にある公園なので、とても広く、自然豊かできれいなところでした。しかも、面積が広いおかげでほとんど人と出くわすこともなし、マイナスイオンを浴びてストレスから解放される効果もあったので、学校や家と比べたら、遥かに居心地の良い場所でしたね。

放課後、学校帰りにそのまま公園に行って、夜の11時くらいまで公園をぶらぶら歩いたり、暗くなってくるとベンチに横になって眠ったりしていました。休日も夜になるまでずっと公園にいることが多かったです。

だから、学校にいなければいけない時間と家で眠る時間以外はずっと公園にいました。半分ホームレスのようなものだったと思います。

もし、都会などの人が多い公園で、同じように制服を着た女の子が夜にベンチで寝ていたら相当ヤバいと思うのですが、人が来ない田舎の公園だからこそ、このような生活ができました。人が来ないのも逆に危ないですけどね・・・笑。

公園では、雨が降れば草木のにおいが立ち込めてくるし、鳥の鳴き声がするし、夜にはきれいな星や月が見れました。じめじめした陰湿な学校の雰囲気とは正反対で、少し心を浄化できているような気がしたので、公園で過ごしたのは、田舎に住んでいたことの数少ない良い経験でした。

しかしある日、公園で同級生と出くわしてしまい、学校で色々とありもしない噂を立てられてしまったので、私の短い半ホームレス生活は幕を閉じたのですが、自然豊かな公園での生活は、いじめ経験よりもいい思い出になりましたよ。

田舎に居場所がないと何度も言っていますが、居場所がないあまり、いじめられっ子は私のように簡単に半ホームレスになってしまうような状況にあるのだな、と冷静に振り返ってみて気づきました。

おそらく、家庭の状況がもっとひどかったら、半ホームレスではなく、完全なホームレスになっていたと思います。また、もし完全なホームレスになった場合、まだ高校生であったとしても私を助ける人は一人もいなかったのではないかと思います。

田舎は監視社会ですが、それは他人を排除し、身内や組織内にいる人間だけの安全を守るために監視をしているだけであって、私のような地域との付き合いのない家庭の人間を助けようとする人なんて一人もいないのが実態です。

田舎の人たちが助け合って生きているというのは、お互いに利益を与え合うことができるという損得勘定から助け合っているだけで、付き合いを持っても何の利益がないとみなした人とは一切関わろうとしません。だから、都会のように他人に対して無関心な面も持っています。さらに、面倒なことに、無関心な人であっても悪口だけは言うのです。

・・・ちょっと、本音を言いすぎてしまいました笑。鬱憤がたまりすぎているもので。

一方で、都会はいじめを受けている子のための様々な取り組みがあって、ボランティアの方が居場所を作ってくれたり、一緒に楽しい時間を過ごしてくれたりします。これこそ、助け合いの精神というものです。

しかし、田舎のいじめられっ子といったら、悲しいことに、誰からも力を借りず100%自力で生きていかなければいけません。まあ、そのせいで私は一人で生きていく力がつきましたが・・・。でも、そのような状況をこのままにしておいていいわけありませんよね。

でも、田舎でいじめの対策が進むのは、まだ時間がかかりそうなので、いじめを受けている子は、自分の命だけでも守れるようにたくましく生きていてほしいです。

田舎でのいじめは故郷を奪い、地縁・血縁のない孤独な人を増やす元凶

続いて、田舎でいじめにあった人が、その後田舎に帰れなくなることで受ける精神的な苦痛とその後の悲しい現状について書きます。

私は田舎から都会に出るとき、いじめを受けたことや周りの人間がどれだけ醜い心を持っているのかを知ったことが原因で「こんな牢獄のような場所、二度と帰らない」と心に誓いました。

その反面、田舎は私にとって大事な故郷で、美しい自然と触れ合った場所でもあり、幼いころ優しい祖母や祖父と過ごした思い出のある場所でもありました。

だから、思い出のある大切な故郷を恨むことは、とても辛いことでもありました。

しかし実際、当時から数年が経つと、いじめの生々しい記憶が薄れてきたおかげで、数回田舎に帰ることもありました。でもやはりいつも人目を気にしてしまい引きこもってしまいました。

多分、都会に出てせっかく人生をやり直したのに、いじめに関係していた人たちと会うと、自分自身忘れていた当時の自分に戻ってしまうのではないかという恐れがあったからです。それに、ボロボロだった頃の自分を知っている人に会うのも、同情されそうなので避けたかったです。

だから、私の故郷は本来はとても素敵な場所だし永住するには最適な環境ですが、そこにいるといつまでもいじめを受けた過去を引きずってしまうため、故郷や帰る場所のない人生を送っていくしかないと気が付きました。

同級生のSNSを見ると、いつもはバリバリ都会での活動的な生活をエンジョイして、数か月に1回故郷に帰り、家族や旧友に会って語り合ったり、自然に癒されリフレッシュしたりする、という理想的な生活を送っている人が多いです。いじめはすでに許していますが、このような人たちと自分の故郷との関わりと比較すると、やはり悔しいという感情は少しだけありますね。

おそらく、田舎でいじめを受けた経験のある人のほとんどが、私と同じような辛さを抱えていると思います。

故郷に帰れないことが原因で成人式にも出れないし、誰かの結婚式や葬式に呼ばれたときも、悪いことなんて何もしていないのに、こそこそ人目を気にしながら出席することしかできない。田舎でいじめを受けるとそのような辛さを一生抱えてしまいます。

いじめが相当ひどかった場合、本当に故郷に二度と帰ることができなくなってしまう人もいるでしょう。このような人は、小さいころの大切な思い出が詰まっている場所、心の拠り所、都会での疲れを癒す場所、自分の本当の居場所、帰る場所を人生から全て奪われてしまうことになるのです。

現代は無縁社会と言われていますが、いじめを受けた人は血縁・地縁を奪われる上、人間不信が原因となって人と深い関係を結べないため、社会の中で孤立してしまう確率が一般的な人より遥かに高くなってしまいます。

ちょっと余談ですが、携帯会社に行ったとき、私の電話帳に登録されている人数があまりにも少なくて、お店の人に「こんなに少ない人初めて見た!!」と驚かれてしまうことがありました。人と関係を持つことが嫌いだから、電話帳に登録しているのは家族だけになってしまっています。

都会に出てから、友達を作ろうとしたこともありましたが、いじめの経験がどうしても人との間に壁を作ってしまっていて、人と関係を築くことは一生無理だと悟ると、自ら孤独になろうとしてしまいました。

私は都会に出て人生の再スタートを始めたつもりでしたが、人間不信の状態でゼロから人間関係を築き始めることって、相当難しいことだと実感しました。逆に、このようなことができる人のほうがめったにいないのではないでしょうか。

さらに、困ったときに頼れる人が誰もいなかったり、精神を病んだ時に帰れる田舎がなかったりすることも、人生を歩んでいく上でかなりハンデとなります。しかも、いじめで大部分の生命力をそがれているので、仕事や学業に全力で励むことができず、失敗が続いて挫折してしまうことも少なくないでしょう。このようにハードモードな人生はずっと続いてしまうのです。

現代は引きこもりや友達がいない孤独な人が多いと言われていますが、いじめが血縁・地縁を奪い、そのような孤独な人を大量生産している元凶となっていることに、世間はもっと問題意識をもってほしいです。

いじめの耐性と向き合い方は家族との関係にすべてかかっている

学校でいじめを受けている場合、親がいじめの問題に理解があるかどうか、また一緒に解決してくれるかどうかによって、いじめへの耐性や向き合い方が180度変わってきます。

一番身近な存在である親が味方となってくれるだけで、家庭に居場所があると感じることができるし、気持ちの持ちようが全く変わってくるからです。

元々家族と仲がいい人は、家族との関係の中で愛情をもらっているおかげで自己肯定感を持てているため、いじめへの耐性も強い傾向にあります。

私の同級生にもいじめを受けていた子がいましたが、その子は愛情をたっぷりと与えられながら育ち、家族との仲が大変良く、いじめについても家族で向き合っていました。そのため、自己肯定感や自分に対する愛情は人一倍強く、いじめのことをちっとも気にしていない様子で自分の人生を楽しんでいました。

この子のように、家族がいじめに対して一緒に向き合ってくれる場合は、不幸中の幸いだと思います。

しかし、残念なことに、家族にさえ相談できずに一人で抱え込んでしまう人もいます。私もこのタイプだったのですが、なぜ相談しなかったのかと言うと、もし相談しても、デメリットしかないと感じたからです。

私の家族はいじめに理解がないどころか、ほとんどない私の自己肯定感がさらになくなってしまうようなことをいつも言っていました。きょうだいは「こんな社会不適合者が家族にいるなんて恥ずかしい!」といつも言っていましたし、母親も「おまえ、友達いないんでしょ」と、しくしく泣いていました。

特に父親は「もしおまえがいじめられているのなら、それはおまえが悪い」というような、今どき全くみないほどの頑固で昭和の価値観から抜け出せない、図太い神経の持ち主でした。

私の家族自体、地域での付き合いが少なく、両親に友達なんて一人もいないし、きょうだいも別の意味で問題児だったし、排他的な田舎の社会からすでに若干排除されかけているような家庭でした。だから、家庭で抱えている問題に加えて、さらにいじめの問題を抱える余裕なんて一切ない状態にありました。

このような家族にいじめを相談したところでどうなるかと考えてみても、恐らく馬鹿にされるか、家庭の恥として追い出されるか、学校に連絡されていじめ問題を丸投げされるか、という結果しか見えませんでした。

私と同じように田舎に住んでいて、家族がいじめに理解がない上に、家庭ごと地域になじめていないような状況にある人は、問題を一人で抱えるしかないので厳しい精神状態に置かれてしまうでしょう。

このような状態に置かれている人は、家庭からも学校からも存在を否定されているせいで、自己肯定感なんてほとんどなくしてしまっています。そのせいで、いじめに対して抵抗できなくなってしまったり、自分の命を守ろうとする気持ちさえなくなってしまいます。

家族が一緒に向き合ってくれるかどうかということは、その子の生命力に直結するほど大きな問題です。だから、いじめをきっかけに家族が変われるのであれば、その子のためにも変わってほしいです。

だけど、第三者がいじめの問題を解決するために、家庭のことに口出しするなんてことはできません。それに、家族の人格がそう簡単に変わるなんてこともないでしょう。

だからこそ、家や学校ではない第三の居場所が必要となってくるのです。しかし、残念なことに田舎にそのような場所はありません。それに、もしそのような場所が設置されたとしても、そこを訪れるのは顔を知られている地域の人たちだけです。

都会のほうでは、いじめの防止や解決を進めたり第三の居場所を作ったり、様々な対策が行われていますが、一方で田舎でそのような対策が行われることはほとんどなく、閉鎖的な環境での陰湿ないじめが続けられています。

やはり田舎の場合いじめから抜け出すためには、誰かからの救いがあることを諦めて、もうその地域から出るという選択肢しかないのでしょうね。

最後に、いじめを振り返ってみて思ったこと

このようにいじめの経験を振り返れたのは、いじめのトラウマを克服しているからです。多分、実際はトラウマを克服したというよりも、ここ2年間くらいはトラウマを思い出すような状況を避けるようになったため、いじめられっ子時代の感覚を忘れているだけかもしれません。それか、いじめ以上に記憶に残る出来事を経験したせいで、いじめの辛さが麻痺しているせいかもしれないです。

いじめっ子たちのこともすでに許しているし、当時、彼らも彼らで大変だったんだな、と思うようになりました。

当時からしたら、ブログでいじめの経験を書くだなんてことは想像もつかなかったことですが、今ではネタとして書けそうなくらい、自分の経験を客観視できるようになりました。

もし今いじめられている人がいたら、私もいじめられっ子だったけど、今では当時の状態からしたら考えられないくらい精神的に回復し、まあまあ、それなりに元気に生きてることを伝えたいです。

いじめが終わっても、これからの人生が闇しか見えないし、心の底から笑えるようになることなんて二度とないと、当時の私と同じように感じている人がいるかもしれません。

確かに、私はいじめ後遺症のせいで普通の人と同じように生きることはできないし、当時の闇が今でも変わらずあります。ですが、当時から数年が経過した最近、その闇以上に強い光を見つけ、絶望感から救われたし、心の底から笑うことができるようになりました。

当時感じていたのは、「自分は世界の中でたった一人だけ完全に孤立しているんだ」という大きな孤独感と絶望感でした。そんな中で、人との繋がりを感じられる唯一の場所がネットでした。別に誰かとネットで関係を持ったり、何か書き込んだりするようなことはなく、ただ私と同じような経験をしている人たちの書いたブログを読んでいただけです。でもそれだけで、仲間のような感覚を覚え、少し心が救われた気がしました。

そのようなブログを読んで気づいたのですが、いじめられる子には、優しすぎるとか純粋すぎるとかいう特徴があると思います。それを面白がったり悪く利用してやろうとする人たちに、いじめられてしまいます。ですが、いじめられてしまう特徴を持っている人たちは、少数派なだけなので、周りとうまくいかないことに絶対に罪悪感なんて持ってはいけません。優しすぎる心、純粋すぎる心を自分自身が一番大切にしてほしいと思います。