アスペルガーの人生を振り返る。社会参加と仕事、理想的な生き方とは

発達障害で悩んでいる方はどのくらいいるのか正確にはわかりませんが、何十万人もいるでしょう。症状は人それぞれだし、「隠れ発達障害」のように普通の社会生活を送っていても、生きづらさを抱えている人がたくさんいるように思います。また、その人の周りの人によっても障害をどのように受け止めるかという気持ちの持ちようが変わってきます。

そんな中で、発達障害を持っているうちの一人として障害をさらけ出そうと思ったのは、自分は発達障害に理解のない比較的厳しい環境にいて大変だったけど、今は前を向いてちゃんとい生きていけていることを同じ障害を持った人たちに伝えようと思ったからです。今回は、私の障害と付き合ってきた人生を振り返って、同じ障害を持つ方の参考になりそうなことを書いてみます。

発達障害と付き合ってきた人生を振り返る

年々増していく発達障害の自覚

私が発達障害かもしれないと思い始めたのは、中学生の頃です。当時、多分テレビで「アスペルガー症候群」という言葉を目にしてから、ネットで調べてみると自分の特徴にほとんど当てはまっていたので、その当時から自分はアスペルガー症候群かもしれないという自覚を少しずつ持つようになりました。

そういえば、小さいころから変わっていました。今までよく言われてきた言葉は、まじめ、変人、コミュ障、天然、不思議、頭のねじ抜けてる、などなど。高校時代、ストレスのせいでしゃべれなくなってしまったときは、「おまえ、アスペルガーなんじゃないの~笑」と家族からバカにされることもありましたが、それ以外で人から発達障害を指摘されることはありませんでした。

しかし、ものごころついたときから集団になじめず、特に社会的な集団に属しているときの苦しさは半端なものではありませんでした。会社勤めをしているときには組織に属しているというだけで生命力を吸われているのではないかと思うほど辛かったです。そして、どんどん年齢を重ねていくほどにアスペルガーの特徴を押し殺して生きていくことが精神的にも肉体的にも辛くなっていき、普通の社会生活を送ることが困難になってしまいました。

精神科に行けない理由

私は精神科で診てもらっていないので、発達障害だと診断されたわけではありません。親も発達障害に理解のない人間だし、私は周りに相談できるような人がいなかったので、精神科で見てもらうこともなく、中学生のころからいつもネットでこの障害についての情報収集をしていました。その当時から何年もたった今でも人に話したことはないし、精神科に行く勇気もまだありません。

もし精神科に言って、「はい、あなたはアスペルガーですね。」と診断されたとしても、このことを相談できる人がいないことには変わりないし、今まで一人でなんでも解決してきたけど、この障害と一生付き添っていく覚悟を一人でするのには、まだ勇気が足りません。

よく言うように、障害は個性だから、私は個性として障害を受け入れたいです。でも、まだ心の準備ができるまでは、お医者さんに「アスペルガーですね」という決定的な言葉を言われたくありません。この個性のせいで、今まで苦労しかなかったけど、これからはこの個性を生かして、もっとプラスにとらえられるようになりたいです。それができたときが、心の準備ができた状態だと思います。なので、一人で受け止められるようになるまで、診断はもう少し先送りすることにします。

人生で一番楽しかったのは幼少時代

私は保育園に通っているころ、「今が人生で一番楽しい時期だ」と切なさと共にはっきり感じていました。周りの大人たちを見て、自分が同じようになれないことを潜在意識でわかっていたのかもしれません。

私の幼少期は、やはり普通の子たちとはかなり違っていましたね。保育園では何かを一人でかいていることが多かったです。でもそのかいているものが普通じゃなくて、人体模型のような絵や、漢字をかいていました。漢字を書くのはおかしくないけど、なんで人体模型の絵をかいていたのかというと、人間の体って不思議だなーという好奇心があったからだと思います。外で遊ぶのも大好きだったので、一人で何かかいているか、外ではしゃいでいるかのどちらかでした。

しかし、やはりこのころから「グループ」や「集団」というものには抵抗感がありました。女の子グループに入れてもらって遊ぶこともありましたが、集団になじまなければいけないという「義務感」から遊んでいただけであって、一緒に遊んでいて楽しいと感じたことはありませんでした。

一番楽しい時期を大切にしてほしい

幼少期から「自分は人とは違う」という感覚が少しだけありましたが、それでもまだ普通の社会生活を送らなければいけない責任感とか、集団で感じる疎外感とかを知る前のころなので、楽しく過ごせました。何も知らなかったあの頃に、たくさん楽しむことができてよかったと、大人になってみて思います。

それに、幼少期はかなり変人っぽいことをしていましたが、それでも「小さな子どもだから」という理由で周囲の人は笑ってくれていました。多分、人を笑わすことが自分の役目だと当時思っていたのかもしれません。でも、小学校にあがると怒られることが増え、「ちゃんとしなきゃ」という責任感を感じるようになることで、自分の変人な面を押し殺すようになり、毎日が楽しくなくなりました。

もちろん、普通の子でも幼少期はとても大事な時期ですが、発達障害の子にとってはそのままの自分を出し、生きることを楽しめるとても大事な時期です。周りの人が障害に理解があったとしても、成長していく過程でやはり人の何倍もつらい出来事があるかもしれません。なので、幼少期は思う存分楽しんでほしいです。

私にたった一人いる親友。友達はいない。

発達障害を持っている人は友達を作るのが普通の人より難しいです。友達ができたとしても関係を継続していくことも難しいのではないでしょうか。私はもう友達作りは諦めています。今までを振り返ってみても、その子たちには申し訳ないのですが友達がいて良かったと思ったことはありませんでした。多分、「友情」という感情が欠如しているのに、義務的に友達を作ってしまうから、関係が続かなくなってしまうのだと思います。

しかし、十年ほど前にたった一人だけ親友ができました。その子とは住んでいる地域が遠いため2~3年に一度しか会えないのですが、友達に対してあまり愛情を持てない私も、その子だけはとても大切に思っています。2~3年に1回しか会わないのに親友と言っていいのかはわかりませんが、その子を「友達」と呼ぶのは違和感しかないので、やはり親友だと思っています。

なぜ仲良くなれたか

彼女とは子どものころに1年間だけ一緒にいれた時期がありました。私はいじめられっ子でしたが、この1年間だけは少しだけ辛さから解放された温かみのある日々を送ることができました。いじめられっ子になってしまったのも、もしかしたら発達障害の悪い面が出てしまったせいかもしれませんが、なぜ彼女は私と仲良くしてくれたのかなーと思います。

多分、それは、彼女がとても素直だったからだと思います。私が遊びたいと言ったら喜んで一緒に遊んでくれるし、ふざけても笑ってくれました。それに、性格が明るく温厚で器が大きくいやみもありません。まとめると、性格が最高ということです。どうしても人といると、自己肯定間の低さやコンプレックスを刺激されてしまうのですが、彼女はそんなことはありませんでした。

また、発達障害を持っている人は視覚や聴覚、嗅覚がなどが過敏なところがあるので一緒にいる人に対してストレスが溜まってしまうこともありますが、彼女は清潔感の塊だし穏やかなので全くそのようなことがなく、空気のような存在でした。また、こちらが気づいてほしくないことに気づかないという良い意味での鈍感さがありました。彼女のような人はめったにいないので、大切にしたいと思います。

量より質の友達を作ること

人にもよりますが、発達障害がある人は、友達がたくさんいるよりも親友が一人いるほうが心が満たされるのではないかと思います。浅く広い関係よりも深くて狭い人間関係のほうが合っているとはよく言われていますよね。

私の場合は、友情がないのに義務的に友達を作っていたころがありました。しかし私自身はその子たちと一緒にいても全然楽しくないのに、逆に友達を楽しませなければいけないという責任感があったので、気が休まりませんでした。友達を作るのに何の意味があるのだろうと感じていました。

私の親友とは、さっきも言ったように2~3年に1度くらいしか会えませんが、それでも親友の存在というものは、発達障害を抱えて生きていく元気をもらえますよ!

発達障害者の社会参加

アスペルガーの部活動参加は辛すぎる

私は中学校3年間バスケ部に入っていましたが、もうね、ほんとうに大変でしたよ。私だけじゃなくて、顧問の先生や先輩・後輩も私のせいで大変だったんじゃないかと思います。1年生の頃から協調性がなさ過ぎるし、空気読めなさすぎるし、それに何より、バスケが下手すぎだし、やめればいいじゃんと思うかもしれないですが、やめるという選択肢が自分の中にはありませんでした。

それで、3年生のときには、後輩に「なんで、伊波さんみたいな人が先輩なのか信じられないっ」とキレられてしまいました。顧問の先生にも「伊波はな~勉強もできて優等生だし何にも問題ないように見えるのにね~なんかね?なんかさ~・・・・・。」と言われてしまいました。顧問の先生は言葉を濁していましたが、多分「性格が悪い」と言いたかったのではないかと思います。

それと、もう一人の顧問の先生が病院に運ばれてしまう出来事がありました。そのときに、さっきの顧問の先生が、「伊波さん!はっきり言って、顧問の先生がかわいそう!かわいそうです!」と言っていました。もしかしたら、顧問の先生が病院に運ばれたのは私に対するストレスのせいかもしれません。私はどれだけ顧問の先生に負担をかけてしまっていたのでしょうか・・・。

部活動ではアスペルガーの悪い特徴が出てしまう

発達障害の人はマイルールを持っていますが、もちろん部活動では通用しません。部活のルールを守らないと怒鳴られるし、その場の空気が凍り付いてしまうため、一応守ってはいましたが、やはり納得いかないので完全にルールを守ることができませんでした。

また、厳しい上下関係にも納得いきませんでした。例えば、なんで先輩の荷物を後輩が持たなければいけないのか。先輩の荷物を持とうとすると、必ず建前として「いいよ~持たなくて~」と後輩に持たせないようにすることに何の意味があるのか。部活の道具がたくさん入った荷物は重いのだから、みんな平等に持てばいいのに。人間関係を円滑にするためにやっていることはわかりますが、内心はうんざりしていました。もしかしたら、その気持ちがときどき態度に出てしまっていたのかもしれません。

それと、「チームで結果を出す」ということに、何の素晴らしさも感じませんでした。一人で取り組める陸上競技や美術では授業で良い結果を残していましたが、それは一人で極められることが関係していると思います。チームプレーだと、がんばろうとしてもやる気がわかず、本気を出せないことが多かったです。多分、チームプレーだと臨機応変に対応しないといけないことと、チームの中での疎外感があることが、結果を出せない理由になっていると思います。

アスペルガーは部活動でいじめられるかも

中学時代もいじめられていましたが、部活でもいじめらるようになりました。部活内での意味のないルールやうわべだけの人間関係に不満を感じていることがなんとなく態度に出てしまっていたのかもしれません。発達障害持ちの男の子が同じバスケ部にいましたが、彼も先輩にいじめられて不登校になってしまいました。

部活動は部活の種類にもよりますが、発達障害の悪い面が出やすいと思います。特に、チームで活動を行う運動部には入ったら苦労します。一概には言えないのかもしれませんが、発達障害を持っている人は部活動に入らないほうがいいと思います。

アスペルガーの接客業は辛すぎる


私は、飲食店でのアルバイト経験を何度もしてきました。アスペルガー持ちの自分に接客業が向いていないことはわかっていましたが、社会経験を積むために、あえて一番苦手な接客業を経験してきました。しかし、失敗ばかりで、どれだけアスペルガーが接客業に適正がないか、自分の経験を通して実感することとなりました。

アスペルガーに接客業が向かない理由は、接客レベルが上がらないから


複数の飲食店でバイト経験がありますが、1年以上続けられた場所はありませんでした。どのお店でも、バイトを始めてから6ヶ月くらいたつと限界を感じるようになり、その1ヶ月後にはお店をやめていました。

やめたくなる原因の一つに、接客のレベルが上がらないということがあります。まず、接客の方法を覚えるのも時間がかかります。どのように覚えているのかというと、頭の中で、この状況ではこういうセリフを言うんだな、とか、こういう状況ではこういう表情をしながら対応するんだな、とかを先輩の接客を見ながら一つ一つ頭の中にパターンを作っていって覚えるという方法をとります。それで、その接客パターンを頭の中から引き出して接客していました。

しかし、接客では、決まりきった対応だけではなく、プラスアルファでお客さんをちょっといい気分にさせる対応が必要とされます。例えば、お客さんとの雑談とか、一言プラスしてお礼を伝えたりとか。しかし、アスペルガーはそういうのができないのです。なので、いつまでもバイト研修中のレベルから抜け出せず、後輩にどんどん追い抜かされてしまい、バイト先にいづらくなってしまいました。

アスペルガーは臨機応変に対応できない


頭の中にある接客パターンが使えない場合もあります。それが、アスペルガーが一番苦手な臨機応変を求められる場面です。このような場面では、頭の中が真っ白になってしまって、必ずトラブルを起こしてしまいました。なぜ臨機応変に対応できないのかと言うと、難しいことを言いますが、普段の自分と接客中の自分は完全に切り離された存在なので、接客中に今まで自分が経験したことを全然生かせないことが原因です。

普段は自分のルールで生きていますが、接客ではもちろんその店の規則とか接客の鉄則を第一に守らなければいけないルールとして対応しています。しかし、そのようなルールはマイルールとは違って、自分には全くなじんでこないのですよね。だから、臨機応変を求められる場面では、自分になじんでいない、あやふやになっているルールを一通り頭の中で巡らせてみますが、そのルールでは対応の方法がわからず、どうしていいかわからなくなってしまいます。

普段の自分だったら、どう対応すればいいのかわかるようなことでも、接客中には自分を押し殺すことが自分の中での鉄則となってしまっているので、簡単なことでも臨機応変に対応できないのです。


普通の人は、接客するとき、今まで自分が経験したことをうまく生かしていますよね。接客歴が長い人は、どこに行っても接客のレベルが高いです。しかし、私の場合は、接客歴があっても、違う飲食店でバイトを始めるたびに、その店ごとのルールに自分を染めるため、一度接客のスキルをリセットしていました。なので、接客業はいくら続けてもスキルが上がらず、辛いこともありましたね。


続いて、アスペルガーが接客業に向いていない理由として、対人恐怖症による影響を書いていこうと思います。

アスペルガーが対人恐怖症になりやすい原因

アスペルガーを持っている人は、障害に理解がない人たちばかりの環境で育った場合、小さい頃から大人たちにものすごく怒られます。私も、親から他のきょうだいよりも10倍くらい怒られて育ったし、学校でも優等生なのにある意味問題児で、よく怒らていました。

私はそのように怒られてばかりで育ってしまったので、人と接するときに怒られる前提で接する癖がついてしまいました。だから、怒られないためにどのように相手を刺激しないで話せばいいかとか、どう自分を良くみせればいいのか、とかを意識しすぎて、全然話に集中できなくなりました。

また、相手が普通に話しているだけなのに、怒っているように感じてしまうこともあり、逆にそのような私の感情を感じ取った相手が本当に怒ってしまうこともありました。対人恐怖症になった理由は色々ありますが、これも一つの原因です。

対人恐怖症のアスペルガーが接客をやると起こること


対人恐怖症なのに接客業をやる私もすごいですが、昔から極度の人見知りだったせいで対人恐怖症は自分にとって当たりまえにあるような感覚だったため、気にしないようにしていました。しかし、対人恐怖症のせいで仕事にはかなり悪い影響がありました。

例えば、お店でちょっとしたトラブルがあり、お客さんの対応をしなければいけないときに、ちゃんとお客さんに状況を説明したり納得させたりしないといけないわけですが、お客さんの怒りの感情のほうに意識が持っていかれすぎて、頭の中は混乱してしまいました。

お客さんは一気に怒るわけではなく、イライラしてから徐々に怒りをあらわにしてきますが、私は怒りの感情に敏感になってしまっていたため、お客さんがまだ怒りをあらわにしていない状態でも、とても怖くて逃げ出したいような気持ちになりました。

アスペルガーは接客業をやってはいけないと確信した

私は自分が社会不適合者であることにコンプレックスを持っていたため、なんとか社会経験を積んで少しは適応できるようになろうという気持ちで、対人恐怖症を持っているのに接客業を続けていました。しかし、もし私と同じような状況にいる人がいたら、やめたほうがいいと言いたいです。確かに、社会に適応するスキルは少しだけ付きましたが、その代償として、トラウマになるほどかなり心に傷が付きました。やはり、シンプルに、自分に向いていることをやるのが一番いいいですよ。

大人の発達障害は見た目じゃわからないから甘えだと言われる

大人の発達障害は発達障害っぽくない

発達障害の人は話し方や外見に特徴があったり、仕草や癖がおかしかったり、キャラクターが強烈だったりして、第3者からしても発達障害だと大体わかると思っていました。偏見でしたごめんなさい。そんな私も、人としてかなり癖のないタイプだし、明らかに発達障害だと思われるような特徴はないです。

特に女性の発達障害はわかりずらいと言いますよね。最近、YouTubeでアスペルガーとADHDを持っている女性がお話しされている動画を観たのですが、すごい普通の人みたいでした。私は、話すスピードがとても遅くて、「で?結論は何?」といつもイライラされてしまうのですが、あんなにスラスラ話せるのですね。

他にも発達障害を持っている方たちの動画を見たのですが、全然わからないくらいでした。みなさん、普通の人みたいにすごいペラペラしゃべれるんですね。コミュニケーション障害は、私は結構症状がひどい方かもしれません。

発達障害っぽくないから「甘え」だと言われる

ネットやメディアのおかげで、発達障害の人ができないことを「甘え」と言ったり「怠けてるだけ」と言ったりすることは、言う人のほうが非常識だという捉え方をされるようになってきていますよね。ですが、私の親は古いタイプの人間なのでよく言われました。今でも、障害への理解がない人は、「甘え」だと言ってしまうのでしょう。

また、職場でも「できるのにやらないだけでしょ?」と言われたこともあります。外見とか話し方だけ見ると第一印象では「すごいしっかりしてる」と毎回言われてしまうのですが、実際働いてみると、仕事のレベルはびりっけつだったりします。だから、始めの評価が高すぎるせいで急降下で評価が下がってしまい、雇用者側が「あれ?こんなはずじゃなかったのにな。」と態度が変わっていくのが毎回怖いです。

発達障害がトラブルなく働くためには

やはり、自分の障害について雇用側に伝えたほうがトラブルを未然に防げるでしょう。前にいた会社でアスペルガーを持っているような感じの男性がいましたが、電話をとらせないようにしたり来客の応対をさせないようにされていました。

その男性は一般採用枠で採用されていたので、自分で障害のことを伝えたか、周りの人が察してくれたのでしょう。障害について雇用側に言うのは勇気のいることですが、長く働きたいなら、将来のためにも言ったほうがいいと思います。

アスペルガーが生きずらさを感じない理想的な生き方とは


アスペルガーは集団に適応する能力が低いので、学校や部活、会社にいる間はとても辛いと思いをします。さらに、チームプレーをするとなると、協調性がなかったり臨機応変に対応できないせいで、なかなか実力を発揮できません。なので、実力を発揮するためには、一人で物事を極めて生きるのが良いのではないかと思います。私自身がそのように生きています。

アスペルガーだと特別高い能力を与えられている人もいますが、そうでない人もいます。わたしも、人よりずば抜けて得意なことはありません。ですが、自分の内側に引きこもって集中する力は共通してあるのではないでしょうか。私も一つのことに集中して取り組むことが得意です。集中すること自体が好きだったりします。何日も集中して作業してしまうと、数日ぶりに外にでたとき、人間がとても怖く感じてしまうくらい自分の内側に引きこもってしまうので、気を付けなければいけないなと思うほどです。

アスペルガーは自由な環境でこそ能力を発揮できる

学校や部活、会社でも個人プレーは可能です。私も、学校では個人プレーで陸上競技や美術などの実力を発揮することができました。ですが、会社の場合は、厳しいルールがあったり、社会の常識やマナーなどがあったりして、アスペルガーの人はがんじがらめになって仕事どころではなくなってしまうでしょう。

私が会社に入ったときは、会社のルールや、社会の暗黙のルールというものまで守らなければならず、失礼なことを口走ってしまわないよう人間関係にまで配慮する必要もありました。その結果、頭の中の80%はこのような仕事以外のことで支配されてしまいました。こんな状態では実力も全く発揮できません。責任感が強いアスペルガーの人は、私のように会社に入った場合、身動きがとれないくらいルールに縛られてしまうと思います。

また、会社で個人プレーの仕事をするとしても、急な予定変更を指示されたり予期せぬことが起きたりします。その場合、臨機応変に対応しなければいけないのですが、アスペルガーの私から言わせてもらうと、臨機応変はとっても苦手です。頭が真っ白になってしまいます。

なので、やはりアスペルガーの人は、ルールに縛られない自由な環境でのびのびと働くのが理想です。孤独にも強いので、フリーランスとしての働き方もいいのではないでしょうか。それか、最近では人材確保のためもあってか、自由な社風で様々な働き方ができる会社も増えてきています。特別な才能のないアスペルガーも、実は才能がまだ眠っているだけだと自分への期待も込めて少しだけ思っていたりします。ですので、才能を伸ばすために、働く環境はよく考えて選びましょう。

最後に、今後の生き方について

障害の程度としては、端から見たときに評価が悪い場合だとしても、ちょっと頭のねじがぬけたトロい奴くらいにしか思われませんし、会社勤めをしているときは、責任感が強くてしっかりしていると見られたり、企画力や情報処理能力もあると良い評価をしてもらえたりしたこともありました。

悪い評価も良い評価もいろいろありましたが、どっちにしても社会的な集団の中に属することは苦痛でしかなく、その中で自分の役割を果たしたり仕事をすることはキャパオーバーなことだったので、200%の力を発揮するために命を削るようにして生きてきました。

しかし、社会集団に属する苦痛を感じながら生きていくことに、20代で限界がきてしまったのです。もう社会集団に属するくらいなら、先が見えないとしても一人で生きていけるところまで一人で生きていこうと思いました。

発達障害は一人で生きたほうが楽な部分があるかもしれません。周りの人間が障害に理解のある人で、温かく見守ってくれるような人たちだったらいいのですが、私の場合はそうではありませんでした。

なので、もう誰にも受け入れてもらえないのなら、その人たちとの縁を全部切ってでも自分の生き方を貫いていきたいと思うようになりました。20年以上自分の生き方よりも社会の模範的な生き方を辛くても守ってきたので、これからは自分の生き方で生きていきたいです。

発達障害の辛さは、多分組織に属している限り消えません。それでも組織に属していきたいと考える人もたくさんいると思いますが、私のように、もう限界がきてしまっている人もいるかもしれません。

ですが、ここ数年では、メディアの影響もあってか発達障害を理解しようとする社会の動きも見られるようになってきましたし、発達障害に対するイメージも良くなってきました。外国の発達障害に対する考え方が入ってきている影響もあると思います。発達障害を持っている人が、幼少期だけではなく、一生を楽しめるような時代が近い将来やって来ると信じています!